×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

|
旧ブログのログです
| |
或る暑い夏の日、毎日のように自動車教習所に通う夫の姿があった、まさかとは思うが車なんか買わないよなって、いつの間にかすんなり免許を取ってきた。
其れまでには、原付自転車に乗っていて、二人乗りして何処へでも連れ回してくれてた。 ある日の事、ポリスマンに二人乗りは駄目だって注意を受けたりもした。 これは妊娠八ヶ月くらいの昭和三十一年の話です。 子供は年子{としご}で二人生まれ、小学校に通う頃に車を買うからと突然言い出した、其れまでペーパー ドライバーだったのに免許取得して数年経ってるからとても心配だった。 S、三十九年頃だったと思うが、今でこそ車の無い家のほうが少ないようだが、その頃は持ってる家のほうが少なかった。 買うと言ってから数日して乗って帰ってきたのには些か驚きました。 嬉しそうに運転して何処かへ行きましたが、帰って来た時、新車でピカピカだった車のあちこちに少し擦った後を見付け、やっぱりね、ってペーパードライバーがいきなり運転するのは無茶に決まってるのに。 毎日乗り回してる内に何とか行けるようになったら、今度は横に乗れって、それからは国道26号線をひたすら和歌山方向に毎日のように日参しました。 国道も結構がら空きの状態だったので運転の練習に持ってこいのようでした。 横に座ってて怖い思いは数え切れない程しました、例えば信号で止まって、さあー発進しょうとすると「あれっ」って言うんです、はよ言うたらエンストです。 後ろの車に気遣うし、焦りました、だから乗せて欲しくないのに、一人やときっと不安だったんでしょう。 車の運転の事は解りませんが、何時も右足が遊んでるから、アクセルとブレーキに足かけて何時でもブレーキ掛けられるようにして欲しいって言ったら、笑って取り合ってくれなかったけど、あれは左足で両方の動作をするものなのかと、勝手に判断してます。 一番怖かったのは、川の所でバックして方向転換する時です、土手から川に転落しないかと、降ろしてくれって叫びそうになりました。 あちらは、死なばもろとも、って思ってるんでしょうが、まだ此の世に未練がたっぷり有りましたから。 路上駐車の違反切符も何回か切られ、其の都度払いに行きましたが当時は5000円でした。 今はどのくらいなんでしょう、スピード違反はとんでも無い話で、他のドライバーから冷たい視線を送られる程のろい運転でした。 夫の実家が有る四国まで車に乗りフェリーで行った事が有りますが、車を船に乗せるあの時の緊張は今でも忘れられないです。 夫は平然としてましたが、私は海に転落するのではと恐怖でいっぱいでした、勿論騒ぎ立てはしません、でも心は凍り付いてました。 運転をするのに向いてる人、向かない人が居ると思います、他の人に乗せて貰ったら安心してられるのに夫の運転だけは何時まで経っても信用出来ませんでした。 車なんて必要ないから廃車にして欲しいと何度か言いました、七年くらい経った頃はマフラーが破損してたせいか暴走族の車と間違いそうな派手な音を響かせてたし、ある日の事電話のベルが、とうとうやりました 右折しようとした車に直進の車が突っ込んだんです。 勿論夫の車が悪いのです、今の私でも直進が優先だって知ってます。 多分ボーッとしてたんでしょう、夫の車が右折したんです、左のドアがぐしゃっと壊れてました。 何時も私が座ってる場所じゃないですか、内心ほっとしました、これで車とは、おさらば出来ると。 子供達は乗るのを嫌がってたので、後部座席は殆ど座る事も無く新品状態でしたが、ある交差点で修理工場のおじさんに連れられて行く車とお別れしました。 その後が大変夫は背骨がずれたらしく、入院生活をする事になり、亡くなるまで腰痛に悩まされていました。 そんな姿を見てるから子供達は決して、運転免許を取ろうとはしません。 今思う事は自分の躰は傷めたたけれど、人身事故を犯す事無く車と縁が切れたから良かったかな?。 車にまつわるエピソードは数え切れないほど有りますが、私の胸に想い出としてしまって置きましょう。 PR コメントを投稿する
この記事のトラックバックURL: <<本当に霊界って有るのかな? | ブログトップ | TV&電話の今昔>> | カレンダー
プロフィール
HN:
M子
年齢:
94
HP:
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD観賞
自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
最新トラックバック
フリーエリア
ブログ内検索
P R
|