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戦火の中で

神戸の湊川神社の近辺に住んでいた私達は、空襲で焼け出されて、その時すでに戦死していた母の二番目の弟の妻と二人の幼い子供の住む三宮で同居する事になる、春の出来事です。

四歳と一歳の女の子を抱えての叔母の生活は大変だったようだが、同居する事によって少しは楽になったのでは無かろうか。
初夏に入り、疎開させて有った衣類を入れ替えに祖父が借りてた山の家に、母の妹、叔父の妻、姉、私、四人で行った時、神戸の街並みを見下ろしながら、いっぱい話したような想い出があるが、内容迄は記憶に残ってない。

それから三日程して大空襲に見舞われる事になる。
朝早く空襲警報のサイレンが鳴り響き、母は大急ぎでご飯を炊いておにぎりにする。
それぞれが荷物を持つ、叔母は上の子を背負い、子供達の着替え等の荷物を、姉は大きなリュックを母はそれなりの荷物を{自分の事しか解らない}私は下の子をおんぶして、両肩に着替えの衣類など入った大きな布のカバンを提げ、お米を入れた{四キロ程}袋と当時大事な番傘{紙に油を塗った傘}を持ってその上お弁当迄、十三歳くらいの子供には荷が重すぎで、流石に勘弁してよと、お弁当は叔母が持ってくれる事になった。

三人は一緒に出たが、母は後から出たようで、ガード下に非難して、目前に焼夷弾が落ち家が燃えさかるのを見ながら母は絶対に死んだと思い、後は泣きながら逃げたが、三人は何時しかバラバラになって、人々が「こっちはあかん」今度は反対側から「こっちはあかん」って声が聞こえ、どっちに行けば良いのかと、煙って見難かったが下を見て歩いてると、市電の線路が目に入ってきた、それを伝って歩いてると、兵庫県庁の前にでる事が出来た。

荷物を下におろし、背中の子は静かだがどうなってるか心配になり下ろした、目を開けて黙ってこっちを見ている、思わず「生きてたんや?」って声を掛けました、お互い子供同士の喜びの対面だったのです。
あの戦火の中を奇遇と言うか母の上の弟が私達の事を心配して探しに来てくれたのと、ばったり会う事が出来、荷物の一部を持って貰いました。

叔父は他の人達を探すべく別れましたが、叔父の家に行く迄の道すがら縁台を出して、うちわで扇ぎながらのんびり涼んでるおっちゃんの姿を見て、今朝の恐ろしい体験は何やったんやって思わずにはいられませんでした。
叔父の家に着いて、祖父母や叔母に「おかあさんが死んだ」って泣きました。
夕方になって、死んだと思った母と共に姉は怪我をしてたけどやってきました。
叔母は何時まで待っても帰ってくる事は無かったのです、何処でどうなったのか二度と姿を見ることなく下の子供を残した侭行方不明です。

孤児になった子は、祖父母に大事に育てられ高校を出たら、お勤めに出て職場で知り合った男性と結婚をして二人の子供に恵まれ、祖父の残した土地に家を建て夫は勤め、自分は喫茶店を経営してますが、親戚の人達からも可愛がられ皆に大事にされ威張って生活してたように思うのに、祖父母から親の居る子より愛情をもらってた子の言う、一言がどうにも許せなくて今では音信を絶ってます。
自分が子供を育ててみて、孫を育てる大変さが解ってると思うのにと思うと悔しくて、受けた恩を忘れたら人間失格だと思います、とんだ愚痴になりました。
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プロフィール

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M子
年齢:
94
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性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD観賞
自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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