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旧ブログのログです
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今酒造業界はピンチらしい、私も陰では心配している
何故なら我が家の本家が酒造会社だから。 戦前から戦後暫くは道頓堀のグリコの看板の隣に大きな看板を出していたのに、今は取り外されて近年は誰もから忘れ去られているようだ。 栄枯盛衰とはよく言ったもんだと思う、灘に蔵元が有り三宮に会社を構え、東京にも支店を置きと、子供心にやたら大きな建物だった事を記憶している。 私が知った頃は従兄弟の代になっていた、父の姉夫婦が起こした酒造会社だが、従兄妹同士の結婚で父とは年齢が離れてた関係で実子のように育てられたようだ 若い時の父は姉夫婦の援助もあってか貿易に手を出しアメリカに渡り失敗も有ったようだが、何事にもトライする人だったと聞く。 神戸で母を見初め結婚して、子供も三人産まれやがて東京へと進出するが、東京支店で姪夫婦の下で働くのは抵抗が有ったのか、やがて自分で料理店を持つことになる。 酒は灘から取り寄せ商売は順調に行っていたが、好事魔多しとは、此処で父の切り札は使い果たしたようだ やがて来る運命を察知していたかのように後に残る皆の生活設計を準備してくれていたが悲しいかな戦争のなせる業で空しい結果になってしまった。 四十七歳と言う若さで旅立って行くのは心残りだったと思うが、自分の好きなように生きたのだから、それに戦争で爆撃に遭いながら逃げ回る嫌な思いを知らずに逝けた事は良かったのかなと思う。 母はその時三十七歳、姉、十五、兄、十二、私、十歳 女学校と中学校に通う二人を酒造会社支店の従姉妹に託し私と母は雪の積もる道を踏みしめながら東京を後にしたのです。 戦争が私達だけで無く殆どの人の人生を大きく変えたように思うが、良かった事も、戦前、戦中は自分の意見を自由に言えなかったのが、敗戦のお陰と言っては何だが今誰もが自由に話せる時代になった、こんな素晴らしい事は無いのでは、若い人達には分からないだろうな〜と言うことです。 先日もTVで今、日本酒がピンチだと聞いて、これも時代の流れと変に納得したりして、世の中ITに押されてどんどんと目まぐるしく代わって行くのを誰にも止める事は出来ないと思い知らされてます。 PR | カレンダー
プロフィール
HN:
M子
年齢:
94
HP:
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD観賞
自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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P R
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酒豪の私が思ふに、日本酒と合う料理を食べることが減りました。というより、世間の料理が多彩になって、それに合うお酒の種類もたくさんあるので、自然と日本酒を飲む機会が減りましたね。
「これは日本酒でなきゃ!」ってのは、おでん、てっちり、かにすき、たこわさ、いかの塩辛、美味い刺し身。
最近は私ももっぱら焼酎ですが、水割り、お湯割りはしません。味がなくなりますから。味のある酒が好き。なので今は芋焼酎か泡盛。日本酒も大好きですよ〜。辛口派。
やはり自分に関わりがある物が廃れて行くのは、見るに忍びないものです。
でもね、お忙しい部長さんの心配りには頭が下がります本当に有り難う御座いました。
気付くのが遅かったようです。
なにしろ、コメント欄は位置が地味なうえ、字が小さいので、見ずらいですよね。
10/31の日記も拝見しましたが、世の中のあまたのプログと比較なさらずとも、オンリーワンな立派なブログですよ!
少なくとも、我が家では楽しみにしていますので、ぼちぼち続けてくださいね。