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娘時代に起こった諸々の出来事

終戦後に疎開先から神戸に戻るべく、当時国から決められた十坪のこれも規定のバラックの家を祖父が建ててくれて移り住んだ。
前の道はずーっと土で土手が出来た状態で、これでは出入りが面倒と毎日土を退けて通りやすくする為頑張った、勿論私一人で、家には母と寝たきりの姉が居た
が当てにはしなかった。

すぐ側に進駐軍の色黒のアメリカ兵達の兵舎が有り、
それに群がる街の女{売春婦}と闊歩する何とも怖い光景であった。
MPと書いた腕章を付けジープで走り回ってる兵は全体の兵隊を監視する役で、時々娼婦達を取り締まり連行する、或る時は兵隊同士で喧嘩をしてる場面に遭遇
した時はピストルを上に向け発射して治めてた事も。

MPの手入れだと思うがでかいずうたいの兵隊が家の中に入って来たときはとてもじゃ無いが怖かった。
道ですれ違うのさえ嫌だったのに、でも売春の取り締まりだったみたいで、普段は秩序は保たれていた。
食べて行く為、田舎に食料の買い出しに行く、主にじゃがいも、これも運が悪ければ警察に捕まって取り上げられる。
このじゃがいもは総菜店に買い取って貰う、お米も知人を介して入手するが何しろ闇商売なので警察の目が怖かった、これは私が十代の終わりくらいの事だったが今思うと必死に動いていたような気がする。

ある日家中赤紙が貼られてた事があり、何じゃこりゃーって感じだったが、早速税務署に掛け合いに行き何とか話をつけて帰ってきた事も、町内会の寄り合い、夜回り何故かみんな私が出しゃばってた気がする。
当時母はどうしてたのかと思うが多分、私が勝手に皆を守らなければと思ってたのだろう。
世の中が落ち着いてきて向かいに劇場が出来、エノケン、高田浩吉、長谷川一夫、等の実演があって前の通りは商店が並んで活気が出てきた。
その頃五十坪程の土地が有ったので建て直し祖父達と共に住むことになる、祖父は戦前から刀を商う人だったので、店には鎧、刀、陣笠、槍などが置いてあった。

私は大阪の本町で洋裁店をしていた伯母の家に行き内弟子として働くようになった、元々女学校に入った時くらいから自分の着る物、家族の物等本を見ながら裁断、縫製とミシンをかけてたから好きだったんだろう
美人で賢い伯母と其の母{おばあさん}の二人と三人の住み込み、今まで偉そうに言ってたが私は炊事はした事が無くご飯も炊けなかった、当時はガスが来てなかったので薪で煮炊きしていた。
力仕事、は出来たが炊事にはホント苦労したような、
だから結婚した時は独身時代が長かった夫にどれだけ教えて貰い、又気軽に調理してくれてどんなに楽をさせてもらった事か有り難く思い出す。

母は家の中で何をしてたのか?今やっと気付きました
私達子供の為に食事を作ってくれてたんだって、長年不思議に思ってた事が今解明しました。
表立った事に何時も不在だったから、何でだろうって常に思ってたもんだから、やっぱり有り難い存在だったんだ。
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プロフィール

HN:
M子
年齢:
94
HP:
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD観賞
自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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