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旧ブログのログです
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ドレミの歌で有名なサウンドオブミュージックに出てくる、現在92歳になる二女マリアが語る此の家族が今まで辿って来た事のお話です。
貴族の父の元で二男五女の子供達と裕福な生活をしていた処へ家庭教師として来た女性に歌の指導を受けてパーティ等で唄ったりしていた、其の家庭教師と二十五歳はなれた父ゲオルクが結婚する事になりました。 父はナチスに反対だったのでヒトラーからの歌の依頼は断っていました。ある日の事、預金していた銀行が倒産して全財産を失う事になります。元々孤児だった妻は逞しく立ち向かい生活を維持していきます。 ドイツ軍がオーストリアに進入してきた時、此の家の執事をしていたのがナチスの党員だったのですが、アメリカに行くべきだと薦めてくれ、家族全員で北イタリアを経てイギリスからアメリカへ脱出したのです。 コンサートをしてバッハの歌で生計を立てていたのですがブロードウエイでは古風で受け入れられないと言われ、其れまで化粧もしていなかったのが口紅を付け、黒い服から色物を着て、グループ名もトラップファミリーシンガーとして大都会から田舎の公民館を廻り、歌の後は客とのパーティに疲れても家族十二人の生活費を稼ぐのが大変だったようです。 母マリアはリーダーとなって客との会話が円滑に行くよう努力していました。 1941年アメリカが世界大戦に入りオーストリアから来た人間はスパイと疑われましたが、二人の息子はアメリカ兵を志願して行きました。幼い子を残して公演中にFB?がやって来て家宅捜索もされたようですが疑いは晴れたと言います。 戦争も終わり一家はバーモント州のストーと言う山間にローンで土地を買いトラップファミリーロッジと言うホテルを建て、畑で野菜を作り時給自足のをしました。父は大工仕事、母はマネージャーとの打ち合わせで、此の家のモットーは”一人はみんなの為に、みんなは一人の為に”とみんなが協力し有っていました。1947年に父ゲオルクが67歳で亡くなり1956年に歌のほうは解散するのです。 長男ルーベルトは開業医となり、長女アガーテは幼稚園を経営して、二男ベルガーは酪農を、三男ヨハネはホテルの支配人となり二女のマリアは42歳の時パプアニューギニアに渡り32年間宣教師をしていた時雑用をしながら夢を持っていた黒人のキクリを養子に迎える事にしました。{マリア82歳の時} 今、マリアは自分達が唄っていたオーストリアの歌をアメリカの子供達に伝えようと”サウンドオブチルドレンミュージックと言うのを残そうとしているのです。母は82歳で此の世を去り、現在長女のアガーテは93歳、二女のマリアは92歳で健在で、今でもアコーデオンを上手に奏でていました。 PR コメントを投稿する
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プロフィール
HN:
M子
年齢:
94
HP:
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD観賞
自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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