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お正月から棺桶とは

昔から私の持論ですが、此の世の最後にその人が幸せであったか不幸で有ったかと言えるのは人生を終えて、棺桶の蓋が閉まる迄解らないと言う事です。
子供時代、青年期、中年期、老年期とそれぞれの時代を死ぬ迄維持して、その侭の状態で変わらず暮らして行く事は殆ど不可能に近いとおもいます。
社会の情勢で変わったり、身内の事情に寄る事もあるだろうし、他人に危害を加えられたりと、長生きしてれば、さまざまな出来事に巡り会う事が多くなり短命な人より余計に喜怒哀楽を体験する事になるのです。

例えば裕福な家に産まれても何らかの事情で貧乏のどん底に落ちたり、両親の都合で離婚でもされたら寂しい生活が待ってるだろうし、子供時代惨めな生活を強いられてた子が思い掛けない才能を持ってたら億というお金を稼ぐ事も夢では無くなると、こんなのを波瀾万丈{はらんばんじょう}と言うのでしょう。
若くして大金持ちになり有頂天で生活していたら、ある日無一文になるって事もよく有る話です。
成る可くなら普通に穏やかな日々を送る事が出来たらどんなに良いでしょう、そうは行かないのが人生の面白いとこなんです。

総理大臣に上り詰めた人でも殺されたり、他人から罵倒{ばとう}されたり、財閥と言われた人が監獄に収監{しゅうかん}されたりと、今までの栄耀栄華{えいようえいが}の生活が一変する事もあり得るから油断も隙{すき}も無いって事です。
どん底から這い上がってきて成功した人が、後少しで、輝かしい人生の終焉{しゅうえん}を迎えようとしてる時にとんでもない事件に巻き込まれて裁判を受ける立場に立たされる人を見ると、此の人達はこんなはずじゃ〜なかったと嘆いているのではと思います。

私も今まで生きてきた人生を振り返り、その場に置かれてる状態を見つめながら、「あ〜幸せだったな〜」と言えるか、「こんな筈じゃ〜無かった」と言うか「長生きし過ぎたぞ」と嘆くか、どお言う言葉を残して此の世を去る事が出来るのでしょうか。
平凡で良いのです、棺桶の蓋{かんおけのふた}を幸せだったと思いながら、静かに閉める事が出来たら。

お正月だからこそ書いてます。 ”門松や冥土の旅の一里塚目出度くも有り目出度くも無し”芭蕉の句だったかしら?。{此処を覗く少女の為の振り仮名です}
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M子
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94
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性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
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自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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