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認知症になった祖父

これから書こうとしてるのは、むか〜しのお話です。祖父が生存中に、私達親子がお正月に神戸に里帰りしてた時、初詣に行く事になり、祖父、叔母、従姉妹と私達親子で出掛けました。
無事お参りもすませタクシーで家の前で降り立った時祖父がしみじみと自宅を眺めて「何処のお宅や」って言うのです、「家に帰ってきたんよ、さあ入ろう」って言ったのです、何かおかしいとは思いましたが、その時は誰もあんまり気にする事もなかったのです。

数日滞在して我々は大阪に帰り、夏が近ずいた頃母から聞いた話に、ある日の事祖父が帽子を被り、カッターに蝶ネクタイ、靴は履いてるけどズボンで無くステテコ姿で杖を片手に出て行こうとしてるので慌てて追いかけ連れ戻したというのです。
家人はその時初めて異変に気付いたようです。
今思うに”まだらボケ”だったんでしょう、それ以後は勝手に外出出来ないよう、戸が簡単に開かない工夫をしたのです。
時々表へ出て行こうと戸をガタガタしても開かないので諦めたか、布団の上で何故か財布の中を調べてる様子に家人が新聞紙をお札の大きさに切り数十枚入れてあげたら満足そうに数えてるとか、ボケは急速に進んでいき、寝たきりに、意識が無くなりと、ある時祖父に先が無いとの知らせを受け、夫の危うげに運転する車に乗ってこちらも命がけでお見舞いに駆けつけました。

祖父はベットの上で静かに眠ってました、看護をする人が高齢だった事もあって、着替えさすのが大変なのと夏と言う事もあり裸にタオルケットを掛けてました、意識が無いはずなのにタオルを掛けると、掴んで何処にこんな力が有るのかというくらいな勢いでぱっと投げ捨てるのです、何かを上に乗せられるのが嫌だったんでしょう。

もう私達が来た事すら分からない状態だったのです、その翌日、訃報を聞く事になります。
口数の少ない中に威厳を保って、我々の生活を支えて力に成ってくれた人の最後が、こんな形で幕が下りた事に、もっと尊厳のある死であったらと残念です。
今と違って自宅で家族に看取られて、死を迎えられた事は本人や家族にとっても良かったと思います。
これは祖父84歳、35年前の8月の出来事です。
年の初めからボチボチと病が忍び寄って約八ヶ月で旅立って逝った祖父と四年程後に逝った祖母には何時も手を合わせて、良い想い出をいっぱい頂いた事に感謝してます。{すごい年寄り臭い話で恐縮です}
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M子
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94
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性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
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自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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