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旧ブログのログです
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年金を届ける為に京都の姉の処に行きました。何時も通りにデパ地下で美味しそうなお弁当を選んで買い、頼まれたロールケーキや海老フライ等を持参すると喜んでくれたようです。若く見えて居た姉も寄る年波には勝てないのでしょう、大分動作が鈍くなってるように見え、未来の私をダブらせて見て、何だか恐い気がします。
姉は木造住宅の浴室が寒いと愚痴っていました。其の点マンションの浴室は狭いのと、上から温風が降りて来るから暖かくて快適だよ、なんて自慢を入れながらの会話を楽しんできました。帰り際に郵便物を取って上げたら「丁度良かったわ、これを持って帰りなさい」とお札{ふだ}を渡されます。高いご祈祷料を払って高野山から送って頂いたと言うのです。 親戚一同数人分を頼んだようで、其の中の一枚が私名義のお札でした。信心気が無いから貰っても迷惑だと断りましたが聞き入れてもらえません。「形の無い物をバカにしちゃ〜駄目よ」ときつく言われて持ち帰りました。毎年、夫名義で故郷のお寺からもお札が送られて来ますが厄介だなと思いつつ一応置いています。 又一枚増えてどうしょうと悩みが多くなりました。信心は自分一人ですれば良いのに、何故押し付けるのでしょう。他に一言、「貴女には守り神が付いてるので、一生生活に困らないから安心しなさい」とまるで占い師のように言ってくれます。其の上に「今年の貴女の運勢が悪いから怪我に注意しなさい。其の為のお守りなのだから」ってちょっと脅しも入れたりして、ホントに困っています。 PR 何の役にも立たないのに、今日も看病と言う名の基に半ば押し掛けみたいにして行って来ました。決してお昼に出される食事を当てにしてる訳では無いんだと内心否定しながらも、家人の顔を見た途端に「今日のお昼は何の御馳走?」って聞いている自分が嫌ですね。
時間がくればお腹が減ります。いそいそと温めた物を並べて皆さんの顔が揃うのを待ちます。茶碗蒸しと筑前煮、おみそ汁に、こいもとタコの煮た物が出てきました。中年の男性が会社から帰って昨夜の内に作った物です。とても良いお味に仕上がっていました。筑前煮は人参とコンニャク、ゴボウにレンコン、かしわとあっさりと炊けています。野菜嫌いな人でもこれなら食べやすいと思う炊き方でした。 本当は食事の用意は大変だろうと自分の食べる分は持って行くと言うと、何人で有ろうと作る手間は同じだから素直に食べて欲しいと言われて、其の言葉に甘えた途端に今度は期待が膨らみ「今日は何が食べられるんだろう」って思うわけです。病人さんを別室に置いて三人で、美味しく出来た料理を褒めながら楽しくお食事を頂いてきました。最近の男性の料理の腕は侮{あなど}れないぞと改めて見直しています。 今朝は、お役に立つぞとばかりに張り切って家を後にしました。ところが役に立つどころか用意されたお昼の食事を食べただけです。振り返って見れば何もしていません。今日、頼まれた事とは、家人の留守中に寝たきりの人のお食事と其の他のお世話をする予定だったのです。
日頃の私の悪い癖が出て、共に訪れてる知人とのお喋りに花を咲かせ、結局何もして上げられませんでした。明日も行く予定です。今頃は、あちらも頼んだ相手が悪かったとさぞや悔やんでいる事でしょう。私もちょっぴり申し訳なかったと反省しています。高齢になれば気持ちと身体が伴わなくて、自慢じゃないが何をしてもトロイです。早く言えば自分のことで精一杯、人様のお世話なんてまともに出来るはずが有りません。と此処で開き直っています。 頼む方も仕方が無かったのでしょう。でも人間だから会話が出来るだけに伝言も可能です。猫よりはましだと思ってくれれば良いと自分を慰めています。明日も頼まれているので又行って頑張ろうと思っています。言い訳になりますが病人さんの希望を聞いて、やって欲しく無い事はしないようにしています。 日頃のだらけた生活で身体がなまっているのでしょうか、睡魔が襲ってきました。今日は早く寝て明日に備える事にしましょう。何か目的を持って動いていることに対して結構楽しんでいる自分がいます。 高齢になると誰かのお荷物になっているんじゃないかと、ひがんで小さく身をすくめながら生きていました。ある日の事、電話の向こうから「ちょっと手を貸して欲しい」と言ってくれる人が居て、勿論、私で良かったらと即答です。
最近の私は歩けば転ぶ、物忘れは酷い、計算は出来ないと自己嫌悪と共に自信喪失していました。そんな時、手を貸してくれないかと頼ってくれる人が居ることが嬉しくて、未だ誰かの為にお役に立てる喜びと共に、毎日ぼんやりと過ごすより、少しでも頼って頂ければ生き甲斐にもなり励みにもなります。 自分では片足どころか、両足を棺桶に入れて、後は静かに寝ころぶだけだと思って居たのに、もう少し此の世に居座れそうで安堵{あんど}しています。大昔ならとっくに姥捨て山{うばすてやま}に連れて行かれて捨てられても可笑しくない歳なのです。何となく穏やかで無い日々を送っていました。そんな時に頼られ、すごく嬉しくてもう少し生きていても良いかな?と思っています。 上に立つ人が果たして底辺に住む人の事が分かって居るのだろうかと何時も疑問に思っています。親の保護の基に何の苦労もせずに学問だけに打ち込む事が出来、勿論賢いから良い大学にも行けるし卒業も出来ます。高級官僚の仕事に就いたり一流企業で働けたりと結構な事です。
政治家もしかり、一部の人を除いては殆どの人が裕福な家庭で育ち、大臣クラスともなれば二世、三世がトップの道を歩んでいるようです。何か旨味が無ければ親の跡は継がないでしょう。きっと美味しいお仕事なのだと勘ぐるのは間違ってるのかしら。 こんな人達が貧困の生活がどんなものなのか分かる筈が無いような気がします。選挙の時に口先では庶民の暮らしが良くなるようにと言いながら、自分の懐勘定ばかり考えているように思えて、偉そうに言ってる私も極普通に生活が送れているから、本当の貧しさや苦しさは分かりません。 世界的に見たら日本は暮らしやすいようで、本当に困れば生活保護も受けられる筈なのに、毎年、生活に行き詰まって生きる事をを放棄し、自らの命を断つ人が多いと聞けば何故?と思います。上に立つ人は本当に困ってる人達の言葉に耳を傾むけて上げて欲しいと願いたいです。 | カレンダー
プロフィール
HN:
M子
年齢:
94
HP:
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD観賞
自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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