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旧ブログのログです
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成人や八人の大学生、一人高校生が混じった20人の赤軍派の手によって、よど号がハイジャックされてから36年経ったようですが遠い昔の出来事だったように思います。
名古屋空港でハイジャックされ北朝鮮に向かうよう指示されて福岡空港で燃料給油をしながら時間稼ぎをして、警察や自衛隊が何とか阻止しようとしましたが多くの乗客が人質となってるのと犯人がそれぞれの躰にパイプ爆弾を巻き付けて失敗した時は自爆を覚悟して居る様子に強行手段がとれなかったようです。 福岡空港で女性と子供達や病人は解放するように要求して降ろされましたが後の人達は乗せた侭飛び立ちました。日本と国交が無い北朝鮮に向かう機長は戸惑ったようで、無線で交信している内に誘導されるまま向かって降り立った先が韓国のキンポ空港だったのですが、機長も犯人達も北朝鮮の空港と信じて喜んだそうです。 空港にはためいていたアメリカと韓国の旗は下ろされて出迎えの女性達はチマチョゴリの服で軍人も北朝鮮の軍服を着て偽装していたのが、降りる寸前に韓国だとバレて今度は韓国とのやり取りで相当揉めて北に行くのに数日かかりました。 先ず人質を解放すべく日本政府が或る政治家を人質の変わりとして送り、全ての乗客が解放されて、ハイジャック犯はその政治家と共に北朝鮮のキンポ空港に無事着陸する事が出来たようです。当時その政治家はさすが山村と持てはやされ、男を上げてた記憶が有ります。{私の記憶は当てになりませんから程々に聞き流して下さい} 何十年か前に東洋の楽園の謳い文句に踊らされて喜んで行った人達が現在は悲惨な状況の中で暮らしているようで、或る者は命懸けで脱北してると聞くのに、ハイジヤック迄して亡命して行った北朝鮮はどうだったのか聞いてみたいものです。嫌で日本を抜け出した筈が何故、今、自分の妻子達を帰国させたがるのか不思議だと思いませんか。 びっくりしたのは代理人質となった山村さんが数年後に自宅で実の娘さんに躰を数カ所刺され殺されたニュースを聞いた時です。 娘さんの精神状態がおかしくなって居たと言う事でした。当時のパイロットも愛人関係で家庭が壊れ、後に取材されていた様子は見るに堪えない感じの生活だったように思います。 当時、副操縦士だった方は現在お見受けしても格好良い、イケ面の叔父様でした。 PR 数日前まで暖かい日が続いていたのに今日、買い物に外へ出てびっくり、冷たい風に思わず短い首をさらにちじめ背中を丸めて気付けば小走りで歩いていました。
毎月、必ず行く本屋さんで宮尾登美子の分厚い本と他に一冊を買い、これで新年は退屈する事無く過ごせるぞと、何時も年末に下さる世界地図付きの大きなカレンダーを一枚頂いきながらの会話は「やっと年末らしく寒くなりましたね」「ほんとやね〜」と言いながら次ぎなる目的のスーパーへと足を運びます。 店の前にしめ縄や現代風にアレンジされた正月用の飾り物がずらりと並べられ、それに松や葉牡丹、金色にコーティングされた枝等の花束が、お正月は私に無縁とばかり無視しょうとしていた筈が、松やラン、葉牡丹や百合などの入った花束を二束買い求めていました。勿論パック入りのおせちらしき食べ物もです。 やはり日本人の血が流れているのでしょう、自然に身に付いた物からは逃れられない事を知らされました。 取り合えず我が家にもお正月がやってくるようです。 つい失念しそうになるお年玉をTVの画面から思い出さされて、今日やっと孫達に渡すべく袋に入れて用意しました。みんな遠慮しながらも期待して待ってるようだから忘れる訳にはいかないでしょう。 其の変わりと言ったら何だけど、孫達がお給料を貰うようになれば、きっと御馳走してくれるであろうと楽しみに待つ事にします。 先日はルアンダのお話でしたが、今日はソマリアでも内戦がおきていて難民も出ていると言うのです。
1991年にバレ大統領が失脚してから軍が制覇{せいは}しています。 お隣の国、エチオピアから送られて来ている軍の勢力を追い出そうとしての争いのようで、エチオピアも自国から国民の目を逸らそうとしての戦いのようです。 介入していたアメリカが1994年に撤退してから此の10年間中央政府が存在してないので、其の間にイスラム連合が浮上してきて軍が力を付けて来たと言います。国内はもとより国外からもテロリスト達が寄って来て今や温床と化しているようです。 アルカイーダが支配する、とても恐ろしい国になっていると聞けば、あまりにも遠い国の事だから、どう対処すれば良いのだろうと思います。 何時も思う事ですが一般の住民は内戦におびえ、揚げ句の果てに難民となって過酷な生活を強いられていると言うのに、何で平和な生活を求めないのでしょう。 テロで何を得られるのか、それも自爆テロで自分を犠牲にして迄、それで世の中がどう変えられると思ってるのか、どんな信念を持って闘ってるのか、ホント理解に苦しみます。 アフリカは初めスペインが支配していたようですが、後にフランスの植民地になり、ナポレオンがアメリカに数百万ドルで売ったと言います。 アフリカ人をドレイとして売買していた話はだれもが知るところです。 フランスが支配している時に教育を受けさせたり、結婚もしたようで混血児が多く生まれたと聞きました。 此の事を前に書いたかどうか覚えてませんが、もし重複してたら御免なさい。 昨日書いた事で御免なさいと言わせて下さい。
何しろ遠い昔の話を想い出して書いたのが間違いの元でした。昨日チラっと裁判の事が耳に入って来たので調子に乗ったようです。 諸事情により、此処数年我が家では新聞を購読していません、だからきっとトンチンカンな事を平気で述べてると思いますが其処はサラリと流して見て下されば嬉しいです。 この頃はやたら訂正文が多いようで恥ずかしく思っています。昨日、私の書いた和歌山の事件と言うのは三重県の名張だったとゆう事、二人の女性が亡くなったと言うのは五人だったとか、ワインと書いたのは葡萄酒{葡萄酒とワインの違いは何?}だったり、四十年前が四十五年前の事件だったとか全て間違っていました。 此の事件は強烈に頭に残っていたつもりが、他の人より記憶力の劣っている私が生意気に語ろうとした事が間違いでした。 言い訳として言わせて頂けるなら、以前から何処かで毎日のように殺人事件は起きていたのです。最近は特に凄惨な事件が多くて一々記憶に留めるのは困難なように思います。 今日、TVを見ていて「あら、昨日書いた文は全て違うじゃん」って思ったのです。 これからも、とんでも無い事を書くかも分かりませんが、一人のボケ老人のリハビリのお手伝いをしてやってると、これもボランティアの一つだと思って見守って下さればどんなに嬉しい事でしょう。 今日、人々の記憶から完全に忘れ去られたであろう殺人事件の犯人と思われる人が八十歳で無罪を主張して四十年間頑張って居ると言うニュースを聞き、年月の経つ早さに驚きました。
確か和歌山で起きた「毒入りワイン殺人事件」だったように思います。 或る男性が不倫関係にある女性と別れる為に何とかしょうと毒入りワインを飲ませて殺したようですが、あまりに遠い昔の出来事なのでおぼろげにしか記憶に残っていません。 村の集会での出来事だから果たして毒入りのワインをどうして其の女性に飲ませる事が出来たのか、少しおかしい感じがします。 多分その時は女性が二人死んだのではとおもいます。 {定かでは有りません} 当時の男性は二枚目だったような気がします、何時の間にやら囚われの身になり、同じ年月をシャバから隔離されて牢獄で暮らす事になるとは。 まさか自分の身にこんな災難が降り掛かろうとは想像もしなかったでしょうに、もし犯人でないのならご本人は勿論の事ご家族も随分苦しまれたでしょう。 無罪を叫んで四十年、本当に冤罪だとしたらこんな酷い事は無いでしょう、人生の何処に落とし穴が潜{ひそ}んでいるかと、思えば恐ろしいとしか言いようがありません。 真犯人は一体どこに居るのでしょう、あまりの年月の経ちすぎに此の世の人ではないのかもと思えば今、囚われている人の救いは無くなるような気がします。 | カレンダー
プロフィール
HN:
M子
年齢:
94
HP:
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD観賞
自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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