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お料理は苦手

昨日大きな大根がバカみたいに安かったので、大好きなおでんを作る事にした。
だから今日はおでんと大根サラダ、それと大根を湯がく為にお米のとぎ汁がいるので、一ヶ月振りくらいにご飯を炊く事にした。
私は一年半くらい前からダイエットの為殆どご飯を炊く作業はしていない。{外食、お弁当は例外です}

長年生きてきたけど、お料理程苦手な物は無い、これって女としてとても恥ずかしい事なんでしょうが、人には得手、不得手があるから許されるとしましょう。
決して手抜きをやってる訳で無く、研究心が欠落してるんでしょう。
それに誰も褒めてくれないと言う悪条件、きっと褒めようが無いくらい不味かったからなのか。
私自身は何時も美味しいと自画自賛してるのに、不思議ですね、本当にうっとりするくらい美味しいんですよ。
味覚の感覚の違いだと思いますが、自分さえ満足出来たら良いんだと思うようにしてます。

今まで誰も美味しいって言わなかったけど、一度でも褒めて呉れてたら、少しは励みになって上達してたのではと思う反面、周りの人も悪いのよね、褒めて、のばすって言う手もあるのにそう言う知恵が無かったんだから、教訓です何でも良いから褒めるんです。
豚もおだてりゃ木に登るって諺も有るでしょ。

おまけに、大根サラダの作り方を、下手な奴に教えて欲しく無いって言われそうですが、聞いて下さい。
大根とキュウリの千切りを塩で少しもんで、水気をきりツナ缶を混ぜて、後は食べるまえにポンズをかけるだけです。
結構いけますよ、これは孫娘に教えてもらい、今では私のレパートリーでお気に入りの一品です。
一味唐からしを振りかけても良いと思います。
ポンズは旭ぽんず、少しお値段は高いですがお奨めです、美味しく食べようと思うと調味料も大事だから。
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旅のあれこれ

子供達が独立して夫婦二人きりになってからあちこちと旅行をするようになる、だが、何時も同じ方向なのは何故?、北陸方面,石川県の能登半島、福井県と何回か行っている。
日本海側を舐めたかな?兵庫、鳥取、島根と初めは個人でJRの指定席を取ってくれて行っていたが、何だか楽しく無い、観光バスが我々を見下ろしながら通り過ぎるのを見て、楽しそうで良いのではないかと羨ましく思った。

ある時夫に提案したら、少し考えてから、其れも良いかなって事で旅行社に申し込んだ、そう、バスツアーです、ガイドさんの説明付きで個人では行けないような処へ連れていってくれるし、食事も皆と共にするから楽しいし。
個人ではお世話掛かりが来たりして、結構気を遣う事が多かったから嫌だったのです。

バスツアーの良いとこは、荷物をバスの中に置いて行動出来るし、其の街の様子が間近に見られる事です。
同じ方向と言えば、和歌山方面も、勝浦、白浜と何回行った事か、東京は私が懐かしがるもんで一度連れていってくれました。
昔住んでた新橋、銀座辺りを彷徨きました。
翌日はハトバスの一日コースで皇居、浅草、靖国神社などをまわりました、とても懐かしく嬉しかったです。

新宿に有るホテルに宿泊したのですが、早朝のカラスの鳴き声の喧しい事ったら、寝てられへんって感じでした。
熱望していた北海道は息子の家族に連れていって頂きましたが、九州にも行きたいなって、段々厚かましい欲望が湧いてきてます。
出来る事ならも一度北海道の函館に行きたいなって思うのは贅沢ってもんでしょうかね。
心に残る想い出

今の時代では考えられないような話だが現実に私が目撃した事で、半世紀以上前には当たり前のように有った話を少しでも知って貰えたらと思うのです。
1938年くらいの事です、新橋の地下鉄入り口の側で台を置いて夕刊を並べ売ってる少女、十二歳位だったと思います。
寒い冬、
辺りは暗くなってるのに一部でも多く買って欲しいのに売れ行きは芳しくないようでした。

幸いと言うか私は親のお陰で生活に困るって事は無かったのですが、その少女の姿は不思議にうつったのです、着衣はみすぼらしく寒そうだったから。
私の子供時代は誰とでもすぐ仲良くなれたので、その少女と共に新聞売りの手伝いをしました。
何でも興味を抱く子だったので、色んな話を聞いたのですが唯印象に残ったのは、其の子が家に帰える頃は家族は寝てるとか、何分子供の時だからあんまり覚えて無いけど、多分にショックを受けた事だけは残ってます。

ある時父の店と背中合わせに有る芸者さんの置屋{置屋と言うのは何人かの芸者さんを住まわせている処}
に同級生が住み込みで働いている事に気が付いた。
これも冷たい水で雑巾掛けをしたり使い走りをしたりと、十歳にも満たない子が貧しい為に、恐らく口減らしの為に奉公に出されたのだろう。
兎に角あの時代は貧富の差が激しく、そのしわ寄せは皆子供に来ていたようにおもいます。
人身売買も有ったのではと思いますが其処までは知りません。

兎に角、今では想像出来無いような事が平気で通用してたのです。
今は生活に困れば保護が有るし、如何なる場合も子供は原則的に守られて当たり前です。
当時は子供ながらに思ったもんです、何だか世の中おかしいぞって、戦争は嫌だったけれど、戦後生活スタイルが良い方に転換してくれて良かったとかんじていますが、今、又形を変えて子供達が災難に遭ってるのを見ると何とも遣りきれない思いでいっぱいです。
何時の時代も犠牲になるのは子供達ですがこれは日本だけで無く世界的だと思うのです。
誰もが平和に暮らせたらと願わずにはいられません。
あれこれ思う事

先日から電器ストーブを使用しています、寝る時はアンカを入れるようになりました。
冬は音も無く忍び寄ってきている、街を歩けば色とりどりの紅葉が目を楽しませてくれるし、あちこちに出来ている落ち葉の集団に何となく郷愁のような思いを抱いてロマンチックな気分に浸ってる者もいれば、掃いても、掃いてもどうにもならなく、苛立ちを覚えている人もいるのだと気の毒な気もするこの頃です。

光陰、矢の如し、月日がこんなに早く過ぎて行く事に改めて驚きを感じます。
毎日のニュースに日本はいったい何処に向かって進んでいるのかと思うくらい、想像以上に目まぐるしくて着いて行くのがしんどいぞって思うのは私だけでしょうか。
世の中には様々な人間が生息しているって、認識を新たにしてます。

此の世に生まれ落ちた時は可愛い赤ちゃんだったり、子供だったりと、親御さんは何らかの期待を持って育てたであろうに、何処でどう間違ったのか、其の子の中に違う人格が芽生えて、有らぬ方向に進んで行ってやがては世間をあっと言わすような問題児にと変貌していくのは何故?。
之は決して親の育て方とか、環境が悪いのでは無いような気がする、此の世に生を受けた時から運命的な物を背負って出てきているのでは無かろうか。
逆境に育っても性格の良い人はいっぱい居るし、ハイレベルの教育を受けた家庭で育っても殺人者、変質者も居るから、と言う事でこれは逃れられない運命なのでしょう。
何処の家庭に起こったとしても何とも辛い出来事です。
東西の銭湯

子供の頃は今のように家にお風呂が無く、銭湯を利用する人達が大半だった。
神戸に居た時は皆、浴槽のふちに座って浴槽の湯を汲み出して躰を洗ったりしていた。
カランは壁にずらりと並んで上がり湯として使っていた記憶が有った。
しばらくして神戸から父や姉、兄の住む東京へ戻ってから銭湯に行くが、誰も浴槽のふちに座る人は居らずカランは中央にずらりとあってその前で皆躰を洗っていた。

我が家から学校に行く迄に花街が有り、其の近くの銭湯に行くと、芸者さんが来ていて、突き当たりの板戸が開いて若いお兄さんが綿で出来た白いパンツにサラシを胸高にきりっと巻いて、ねじり鉢巻きで芸者さんの背中を流し、湯おけ十個くらいにお湯を入れて山形に積み上げて置いて行く、此の光景は色町でしか見受けられなかったように思う、前もって番台で料金を払ってオーダして有ったのでしょう。
お風呂から出た芸者さんは胸から肩、背中はうなじに綺麗に水白粉を塗ってたのを珍しげに見ていた。

地域によって普通の生活をしてる人達が行く銭湯はそのようなお兄さんは出て来ない、当たり前の話で、皆慎ましい生活を送ってる主婦は、そんな無駄なお金は使わない。
銭湯の近くには飲食店が有って帰りにラーメン{当時は支那そばって言っていた}を食べたり、石焼きいもやさんが手で引く車で止まっていてそれを買って食べたりと、それが楽しみだった。

長いマンション生活で銭湯に行く機会が無く、現在はどうなってるのか知る由も無いが、料金も半端じゃないようだし、今更人前でヌードをさらす程の勇気も無いが何だか懐かしいな〜って思う今日この頃では有る。
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プロフィール

HN:
M子
年齢:
94
HP:
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD観賞
自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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