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戦中、戦後の学生時代の想い出

女学校時代の想い出を書いてみよう。
神戸の三宮{現センター街}に住んでいた頃、学校に行かず航空機の工場へ動員に駆り出され、伝票の請求どうりに部品を出す係りをしていた。
お昼の食事は色黒の丸いおにぎりが二個貰えたが、食料難の時代だから嬉しかった記憶がある。

ある日上空にB29と言う、でかい飛行機が多数飛来して一トン爆弾を数十発落としていった。
地響きが、躰に恐ろしく伝わった、海岸の側に有った工場から山の方に皆必死で逃げ延びた。
戦中は荷物の運搬は主に馬が荷車を挽いていたから帰りの国道に馬の死骸を多数目にした。
道路には池にでもなりそうな、大きな穴がぼこぼこと現在はTVで他国の戦争シーンを見て、全く同じだなって
思う。

三宮の大空襲で家を焼かれ、田舎へと疎開する。
学校を転校しても学徒動員は変わりなく、今度は小娘がでかい機械の前に立ち何やら削るのだが、今考えると、此の戦争は負けるよなって、思うでしょ。
艦載機が飛んできて、いきなり恐ろしい爆音と共に急降下して機銃掃射でバリバリバリって撃ってくる、此の世の地獄を見てるようで生きた心地はしなかった。

やっと終戦、三年生の夏だった、ほっとして嬉しかったが、今度は山の開墾、炭焼き、畑仕事、田植え、と毎日駆り出され、学校へ百姓の仕事に行ってるって感じだった。
四年生になりやっと学生の本分である学業が始まる。
私達の担任は家庭科の先生だったので毎朝五分間裁縫の運針をやらされる、いち、に、さん、し、って言いながら、初めは上手く出来なくて嫌だったが、馴れてくると針運びが良く、後々とても感謝する事になる。

毎朝三キロ程の道を寝坊して遅刻しそうになりながら走って通学したのも今は懐かしいし、田舎ならではの夕日が沈む風景、夜空の星の輝き、川での洗濯、畑仕事、収穫の喜び、と誰でもが経験出来ないような事を体験出来て良かったと今では何か得したような気分です。

あっと国語の先生を忘れるとこだった。
戦中は若い男を見掛ける事が少なかったが、まだ独身で国語を教えていた先生が居た。
いずれ同僚の先生との結婚が決まっていたようだが、此の先生が毎日、生徒に日記を提出させて、赤ペンで感想を書いて返してくれる。
それが楽しみで毎日何かを書いて出してたのが、成人しても日記を付ける癖がついて、今こうして書くのも苦にならず書ける事に感謝したい。
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M子
年齢:
94
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性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD観賞
自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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