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旧ブログのログです
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三宮の空襲で焼け出されて数日後、使いの人がやってきて兄が爆撃で怪我をしたから来てくれと言われ、市電が止まってるので、トラックが臨時に運行していたので皆の助けを借り荷台に乗って病院に向かう。
病室に入った、一室に兄と親戚の男子が寝ていた。 たまたま夏休みで親戚の酒蔵に遊びに行っていてエントツが立っていたのを工場と見られ小型爆弾を防空壕の入り口に落とされたようだ。 セメントと鉄の扉で頑丈に出来ていたのだが、二人は入り口に居た為親戚の子は左足首から先が無くなり、兄は右腕に破片が七個入り、私が行った時は親戚の子は左足がパンパンに腫れ上がり肉と皮膚の間に空気が 入っていたようだ、兄はやはり腕が三倍位に太くなっていて部屋中肉の腐った臭いが充満していた。 野戦病院状態で治療も行き届かないからと親戚の好意で兄も共に田舎に連れて行って貰う事になる。 足首を無くした子は痛みに苦しみながら数ヶ月後に亡くなった、賢い良い子だったのに親御さんも辛かっただろうと胸が痛んだ。 それを期に兄は私達の疎開先に合流する事になる。 今イラクであちこちと処構わずテロが爆薬を仕掛けて多くの人達が負傷してる場面を見る事があるが全くあのとおりで、躰も心にも大きな傷が残る事が居たたまれぬ思いです、早く平和が訪れてみんなに笑顔が戻れば良いのにと願うばかりです。 PR 子供の頃から姉、兄から「お前は橋の下で泣いてたのを、お父さんが可哀想やと拾って来た子だ」って言われてきたもんだ。
そこで思った、何時か金持ちになった親が探して引き取りに来てくれないものかと、何故か金持ちの子に憧れを持っていた。 物心付いた頃から私の記憶には大きな家に住んだ事も無く、金持ちとは凡そ縁遠い生活だったから。 でも今になってみると現在の生活が何となく落ち着いて心地良い気がする。 負け惜しみで無く、広いお屋敷では居心地も悪いし、第一掃除、が大変何処からか泥棒が入って来るのではと気も使う、やはりセレブな生活が出来る人はそれなりに運命付けられた何かを持って産まれてきてるんだろうと思うようになった。 人は此の世に出てきた時から一生が決まっていてその星の下で運命に添って生きて行くのだと納得出来るようになったのは最近の事だ。 世の中の人が皆金持ちになっても具合が悪いだろう、 そこそこの人も居て何とか折り合いが付いていってるのでは無かろうか。 今更何を考えても手遅れのようだが、人生毎日健康に過ごせる事こそが、最大の幸福と思わなければ罰が当たりそうな気がする。 今酒造業界はピンチらしい、私も陰では心配している
何故なら我が家の本家が酒造会社だから。 戦前から戦後暫くは道頓堀のグリコの看板の隣に大きな看板を出していたのに、今は取り外されて近年は誰もから忘れ去られているようだ。 栄枯盛衰とはよく言ったもんだと思う、灘に蔵元が有り三宮に会社を構え、東京にも支店を置きと、子供心にやたら大きな建物だった事を記憶している。 私が知った頃は従兄弟の代になっていた、父の姉夫婦が起こした酒造会社だが、従兄妹同士の結婚で父とは年齢が離れてた関係で実子のように育てられたようだ 若い時の父は姉夫婦の援助もあってか貿易に手を出しアメリカに渡り失敗も有ったようだが、何事にもトライする人だったと聞く。 神戸で母を見初め結婚して、子供も三人産まれやがて東京へと進出するが、東京支店で姪夫婦の下で働くのは抵抗が有ったのか、やがて自分で料理店を持つことになる。 酒は灘から取り寄せ商売は順調に行っていたが、好事魔多しとは、此処で父の切り札は使い果たしたようだ やがて来る運命を察知していたかのように後に残る皆の生活設計を準備してくれていたが悲しいかな戦争のなせる業で空しい結果になってしまった。 四十七歳と言う若さで旅立って行くのは心残りだったと思うが、自分の好きなように生きたのだから、それに戦争で爆撃に遭いながら逃げ回る嫌な思いを知らずに逝けた事は良かったのかなと思う。 母はその時三十七歳、姉、十五、兄、十二、私、十歳 女学校と中学校に通う二人を酒造会社支店の従姉妹に託し私と母は雪の積もる道を踏みしめながら東京を後にしたのです。 戦争が私達だけで無く殆どの人の人生を大きく変えたように思うが、良かった事も、戦前、戦中は自分の意見を自由に言えなかったのが、敗戦のお陰と言っては何だが今誰もが自由に話せる時代になった、こんな素晴らしい事は無いのでは、若い人達には分からないだろうな〜と言うことです。 先日もTVで今、日本酒がピンチだと聞いて、これも時代の流れと変に納得したりして、世の中ITに押されてどんどんと目まぐるしく代わって行くのを誰にも止める事は出来ないと思い知らされてます。 それは街でも賑わった繁華街のブティックでのお話です、今日もディザイナーのKさんは粋な帽子を少し斜めに被りファッションは言う迄も無く、隙一つ見せず
バッチリ決めて「おはよう、今日も頑張って行きましょうね」って店の店員達に声を掛けて、皆に仕事の段取りを付け、その内来店した婦人客にあれこれとアドバイスしながらお客の意に添うようテキパキと決めていく。 顔立ちもエキゾチックで誰の目にも、今で言うセレブなマダムって感じで、想像では豪邸に住んで、この仕事は自分の才能を生かしたくてやってるとしか思えなかった。 洒落た店は奥に長く、三階建てで二階は応接室、裁断 キッチンとなって三階は注文を受けた服を縫う場所と店主夫婦の住まいになっていた。 いわゆるお針子達が六人程でミシンを踏んで素敵な服が出来上がっていく場所でもある。 お針子と言ってもバカには出来ない、何処のお嬢さんかモデルかと思うような人達が、仕事を覚えるべくやってきてたから。 今日は問題のKさんに付いてお話しよう。 ある日Kさんが何を思ったか、「うちに遊びにこない?」って誘ってくれた。 勿論断る理由も無くふたつ返事で行く事になった、何だか訳もなく嬉しかった。 阪急神戸の六甲駅からと道順を聞いて、内心、わおっ やっぱりねって、頭の中は豪邸しかなかった。 私は見てしまった、ショック、そこの一帯は共同トイレ、終戦からまだ復興しきれて無い場所だったんです 普段お話する機会も無かったのが、朝から伺って一日中お話したり、近所の方との交流で受けた感想は何とも落ち着く場所だったのが不思議な感じでした。 旦那様は船乗りで年に何度か着いた港に逢いに行かれるとか。 そこで改めて実感した事は、人間お金だけじゃー無い その人の生き方だと、どことなく品迄備えた此の人を見直した事は言うまでも無い、多分此の人は私に何かを伝えたかったのではと思うようになった。 お金も有り、豪邸に住んでも、例えに出しては失礼だが世間を騒がせた事のある、皆さん良くご存知のあのサッチーの品の無い事。ごめんねサッチー。 終戦後に疎開先から神戸に戻るべく、当時国から決められた十坪のこれも規定のバラックの家を祖父が建ててくれて移り住んだ。
前の道はずーっと土で土手が出来た状態で、これでは出入りが面倒と毎日土を退けて通りやすくする為頑張った、勿論私一人で、家には母と寝たきりの姉が居た が当てにはしなかった。 すぐ側に進駐軍の色黒のアメリカ兵達の兵舎が有り、 それに群がる街の女{売春婦}と闊歩する何とも怖い光景であった。 MPと書いた腕章を付けジープで走り回ってる兵は全体の兵隊を監視する役で、時々娼婦達を取り締まり連行する、或る時は兵隊同士で喧嘩をしてる場面に遭遇 した時はピストルを上に向け発射して治めてた事も。 MPの手入れだと思うがでかいずうたいの兵隊が家の中に入って来たときはとてもじゃ無いが怖かった。 道ですれ違うのさえ嫌だったのに、でも売春の取り締まりだったみたいで、普段は秩序は保たれていた。 食べて行く為、田舎に食料の買い出しに行く、主にじゃがいも、これも運が悪ければ警察に捕まって取り上げられる。 このじゃがいもは総菜店に買い取って貰う、お米も知人を介して入手するが何しろ闇商売なので警察の目が怖かった、これは私が十代の終わりくらいの事だったが今思うと必死に動いていたような気がする。 ある日家中赤紙が貼られてた事があり、何じゃこりゃーって感じだったが、早速税務署に掛け合いに行き何とか話をつけて帰ってきた事も、町内会の寄り合い、夜回り何故かみんな私が出しゃばってた気がする。 当時母はどうしてたのかと思うが多分、私が勝手に皆を守らなければと思ってたのだろう。 世の中が落ち着いてきて向かいに劇場が出来、エノケン、高田浩吉、長谷川一夫、等の実演があって前の通りは商店が並んで活気が出てきた。 その頃五十坪程の土地が有ったので建て直し祖父達と共に住むことになる、祖父は戦前から刀を商う人だったので、店には鎧、刀、陣笠、槍などが置いてあった。 私は大阪の本町で洋裁店をしていた伯母の家に行き内弟子として働くようになった、元々女学校に入った時くらいから自分の着る物、家族の物等本を見ながら裁断、縫製とミシンをかけてたから好きだったんだろう 美人で賢い伯母と其の母{おばあさん}の二人と三人の住み込み、今まで偉そうに言ってたが私は炊事はした事が無くご飯も炊けなかった、当時はガスが来てなかったので薪で煮炊きしていた。 力仕事、は出来たが炊事にはホント苦労したような、 だから結婚した時は独身時代が長かった夫にどれだけ教えて貰い、又気軽に調理してくれてどんなに楽をさせてもらった事か有り難く思い出す。 母は家の中で何をしてたのか?今やっと気付きました 私達子供の為に食事を作ってくれてたんだって、長年不思議に思ってた事が今解明しました。 表立った事に何時も不在だったから、何でだろうって常に思ってたもんだから、やっぱり有り難い存在だったんだ。 | カレンダー
プロフィール
HN:
M子
年齢:
94
HP:
性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD観賞
自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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