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株の想い出

結婚して二年くらい経った時、夫の友達に薦められて株を買う事になった、当時は会社の中に株を売り買いする仲介人が居て、電話で買いたい株の値段と株数を指定して、買えれば手数料と共に現金決済をしていたが、制度が変ったのを期に誰でも知ってる大手の証券会社と取引するようになる。

夫は本格的に始めた、先ず日経新聞を取り、会社四季報を買って読み一応株のノウハウを研究していた。
売り買いは電話でするのだが、現金の受け渡しは私の役目だった。
書類を作って貰う間、店頭で座って待つ、大きなボードに銘柄が書いてあって、短波放送を聞きながら若いお兄さんがその時の出来値をチヨークで書き込んで行く、凄く上がるのもあるが、値崩れするのも、その度に消しては書き直す作業を繰り返していた。
今では考えられない、懐かしい想い出となった。

株を持ってると増資があり気が付くと、驚く程増えてたり、配当も有ったり、例えばグリコの株を持ってると年に一回か?にお菓子を送って来る、ムーンバットこれは京都に有る毛皮とかスカーフを商う会社だが折りたたみ傘を送ってきた、と言うように何らかの楽しみも有る。

時代が変わると共にまさかと思うような大手の証券会社が潰れ、我々には扱い難い物に変わってきた。
夫は決まった金額の中で楽しみながら、儲けたり、損をしたりと遊んでいたようだ。
その内株の保護預け制度になり、料金三千円で証券会社に預けるのだが、以前のように旨味も面白さも無くなってきて、PCでの売り買いをするような時代になると当然ついて行ける訳もなく、端株その他を整理して、無縁になりました、大分前の話です。
結局、儲けは無かったようで収支とんとんだったのでは無かったかと、何しろ金額が少なかった分儲けも損も大事に至らなかったから良かったと思う。
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PCとの出会い

私が初めてPCに触れたのは、七十歳になってからだった、夫、亡き後一人は寂しいだろうと息子夫婦の好意で暫く一緒に住む事になった。
二人の孫達も気を遣ってくれて何時も自分達の遊びの中に受け入れて共に遊んでくれて、居心地はすこぶる良かった、上の女の子はままごと、下の男の子はトランプやゲーム、子供心に慰めてくれてたと思う。

ある日の事、母親が{之よりママと言う}使用しているPCを開いて男の子=が三人でゲームをしょうと言い出した、今まで私には無縁の存在だったので
触る事が怖かったが、孫たちは事も無げに動かしてる
最初は恐る恐る双六ゲームの仲間入りをさせて貰った
PCに触れた事に何か感動してる自分が居た。

時々遊んでもらってる内に少し馴染んできたら他の事も教えてくれるようになり、文字を打つ事も覚える、
市の広報でPC教室が有る事を知り、ママが申し込んでくれて四日間、午前中、二時間小学校に習いに行くようにしてくれた。
基本的なことを教えてくれて、文字だけは何とかクリアー出来たようにおもう。

息子夫婦、孫達のお陰で寂しさを紛らわす事が出来て感謝しているが、自宅もほっとくわけにも行かず数ヶ月して戻った。
私の腕が少し上がったのでママの使用していたPCとプリンター、それを置く台と全部セットにして戴く事になる、色んなコードを繋いで全てやってくれたが、こんな難しい作業を事も無げにやってのけるママに改めて尊敬の念を抱いた。

頂いたCDR0Mでキーボードの打つ練習を重ね、馴れた頃に又、インターネットが出来るように手配してくれて現在に至ってます。
今こうして色んな方達とネットを通じて交信出来るのもこの家族が居なかったら有り得ない事だし、お陰で寂しい想いもせずに過ごせる幸せを感じてます。
何かトラブルと、駆けつけてアフターケアも怠りなく助けてもらってます。

今度は娘夫婦の出番です、三年くらいしたら戴いたPCが壊れました。
毎日メールで無事に過ごしてる事の連絡をしていたのですが、それが出来なくなるので、その旨を電話で伝えたら、娘の夫が買ってくれると言うので甘えて買って頂く事になりました。
唯、送り着けてくるだけだったので又、先のママに接続をお願いしました、今度のPCはDVDが見られるので楽しみが増えてとても嬉しく思ってます。

ある日ウイルスに犯されました、近くの電器屋さんに頼んで除去して貰いましたが三万近く修理代が掛かりました、痛かったね〜。
時々娘の方の孫がきてくれて、PCの診察や、今こうして書き込んでるブログを開設してくれたりと、本当に私は、恵まれた人生を送らせて頂いてると、これまでお世話になった皆さんに感謝してます。
大切な会話

唯、黙って心に思ってても相手には伝わらないって事です。
言わなくても解ってくれてると勝手に思い込む人が居ますが、それは大きな間違いです。
長い夫婦生活で嫌って言う程経験しましたから、夫に関してですが、何をしても感謝の言葉が無いのはおかしいのではと思い、ただしたところ「何時も心の中で感謝してるよ」って言葉が返ってきたのです「私は人の心迄読む事が出来ないから、はっきり言葉で伝えて欲しい、例え夫婦の間柄とはいえ礼儀でしょ」って言いました。
それ以後は、「これ頼むわ」と言って頼まれた事をしてあげると必ず「あ〜おおきにすまんね、有り難う」って言ってくれるようになりました。
ほんの些細な事のようですが、お互い気持ち良くやって行けるんです。
今、熟年離婚が流行ってるのは、こお言う毎日の小さな積み重ねが原因だと思います。

夫は亡くなる間際迄当たり前のように「愛してるよ」「好きだよ」躰が悪くなったら「世話をかけて悪いね」って言葉にしてくれてたから、こちらも気持ち良く優しい言葉で返せたし、世話をするのは当たり前と思えてた、だから何時までも良い想い出だけが残ってるんでしょう。
大正十三年生まれで、七十五歳で亡くなりましたが、自分の悪いところを指摘されたら素直になおしてくれるし、口喧嘩はしたもののお互いを認め合い信頼してたから離婚を考える事は無かったし、今度生まれ変わっても又巡り会えたらとおもいます。

何時も思うのですが、人間優しさがあれば大概の事は許されるような気がします。
でも、浮気、博打、暴力は論外です、幸い私は経験して無いのでこれらの辛さは理解できませんが。
今から熟年を迎える人は、物申すべきだし、これから結婚される方は、しっかり話合うべきだけど、まっ、これも縁の物で良ければラッキーって喜んで、悪いのに当たれば、さっさと見切りを付けるか、お好きなようにして頂かんと、其処までは面倒みれないもんね。
母が残してくれた言葉

私の記憶の中で母から大声で怒鳴られたり、叩かれたり、叱られたりとかが無い。
兄にはよく殴られたりしたが、姉が言うには「貴女にジェラシイを感じてるからだ」って、父と別居した時私だけ連れて出たかららしい。
でも兄の暴力を見ても何も言わなかったし止めようともしてくれなかった。

私は子供の成長と共に怒鳴るし、叩くし、それは躾けの為で決して虐待では無い、小学校に行く迄に良し悪しを覚えさせ、話せば解るように成ってからは、其のつど教えて行くようにしたつもりだ。
大体おとなしい子だったのであまり怒る事も無かったが、時には苦情が来る事もある、そんな時は怒らず経緯を聞いて、納得がいく迄話を聞いてやる事にしていた。
子供が幼い頃に遊びに来ていた母は、私が凄い剣幕で子供を叱ってるのを見て、とても驚いた様子だった。
ただ一言「すごいわね」って言ったのが印象に残ってる、大体が口数の少ない人で私との会話はあまり無かったが、姉とは何時も一緒に行動を共にしてよくお喋りをしていたらしい。
同じ子供でも馬の合う子と合わない子が居るらしいから、母は私の言う事は信用出来ないようで、必ず姉に確かめてから納得していたようだ。

母が高齢になり、心臓に欠陥があると診断を受け後二年しか生きられないと宣告されて入退院を繰り返す事になる、足繁く病院に通ったがその度にあれが欲しい
これが欲しいと甘えるようになった。
勿論姉は付きっきりの看病をしてくれた、検査、検査の毎日が辛いとこぼしてた事も、ある日の事「本当に色々と良くしてくれて、有り難う、死ぬまで忘れないわ」って言ってくれた事が私にとってどんなに心の安らぎになってるか、この言葉が無かったら辛い日々を送る事になってたと思うから。

私が出来る範囲はしれてるが、それでも大好きな母の願いが少しでも聞いて上げられた事、それを嫌な顔をせずに協力してくれた夫と子供達、ちゃんと天国に行けたかな?って気楽に想い出せるのも、母が残してくれた最後の言葉がどんなに私の救いになってるか。
私の姉の話

私は今姉から頼まれた本を読んでいる、「貴女が先に読んでいいよ」って言われて、佐藤愛子著、”私の遺言”と言うのだが、姉も七十九歳だからこんな題名に惹かれて読む気に成ったんだなと思った。
読み始めて、遺言と言うには些か変なのだ、北海道の山合いに別荘を建てたら、色んな霊が出て来て悩まされる、お祓いを受ける、東京の家迄霊がやってくる。
旅先迄も現れると言う、霊能者とかDr、その他の人々が登場するが解決しそうに無い。
これは佐藤家に起こった現実の話らしいが、遺言とはどう繋がりが有るのか最後迄理解出来なかった。

姉に付いて少し書いてみたい、耳も聞こえず、立つ事さえも出来ず何事も這ってしなければ成らない生活だが、余計な雑音が入って来ない分、自分の世界に身を置く事が出来ると、何しろポディティブに生きる人だから、平然としている。
普通此処までの状態なら今頃は入院生活して、きっと寝たきりになってると思うが、気丈に生きてる、何しろ頭が冴えてるので会話してても此方が付いて行くのがやっと、って感じがする。

ぺ・ヨンジュンの”愛の群像”と言うドラマの中で元気だったヨンジュンが演じる人が脳腫瘍で最後は目が見えなくなり、耳も聞こえなくなる、その時の会話は手のひらに文字を書いて伝え、返事は、言葉で返ってくる、と言う筋書きだが、姉も聞こえ無くなってからは手の平に字を書いて、言葉で返してくると言う生活をしている。
目が見えてる事にどんなに感謝しているか、何時も側で守って愛してくれた母が亡くなって、どうなるかと心配したが、競馬の話をして馬が可愛いのよとか株を買おうと思ってるとか、やたら明るいので此方も気が楽になる。
PCもやりたいようだが、これは無理だよって言うしかない、エラーが出たら対処のしょうが無いから。
どっちが先に母の元に逝くかは神のみぞ知る、ですが誰かに迷惑を掛ける事だけは避けたいと願っても、之ばっかりはどうしょうもね〜な、ケセラセラ〜で行きますか。
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プロフィール

HN:
M子
年齢:
94
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性別:
女性
誕生日:
1931/03/05
職業:
主婦
趣味:
DVD観賞
自己紹介:
05年10月10日から09年8月17日にかけての旧「M子のお花畑」の保管庫。
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